仕事を道楽とする哲学、父の教え
去年から、ゴミ屋敷化した実家の片付けをしている。
9割ぐらいは終わったが、細かいところがなかなか片付かない。
引き出しひとつ開けると様々な書類、文具、ゴミ、おもちゃ、写真、小物、ゴキブリの死骸なにからなにまでで出て来るから、一機に捨てれば楽なのだが、捨てられず分類し、売るものはヤフオクで売るとか寄付できるものは寄付したりとかするから、とにかく遅々として片付けがこの4か月くらい進んでいない。
でも大きいものは1年ぐらいで大方処分したので、家の空気は良くなった。去年は家の空気が毒のようだったからなあ。
1年間で45Lのゴミ袋にしたら、1000袋以上は処分したはず。毎週15袋は捨ててたから、単純に1年を50週として、50×15で、750袋。
それに、去年1年は毎週5袋くらいはチャリティーとかに寄付しに行ってたから、50週×5で250袋。合計1000袋分くらい家の中を片付けた計算だ。
タンスは4つくらい破壊して、電ノコで切り刻んで燃えるゴミに出したし、布団も40枚くらい切り刻んで、燃えるゴミに出した。
でもまだ3つタンスは残ってる。布団も8枚くらい残ってる。6人家族だったけど、どんだけあんねん。。
さてさて、親父が日曜大工が好きだったもんだから、親父が作った棚や引き出しが実家にいっぱいあって、それらの処分をしてたら、親父が僕ら兄弟に出した手紙の下書きが沢山でてきた。ただし僕宛の手紙の下書きはでてこなかった。
そもそも僕は父から手紙などもらったことないから手紙の下書きがないのは当然ではあるが、むしろ他の兄弟に宛てて父が手紙を書いていたのを初めて知って意外だった。
僕には兄が二人、妹一人いる。4人兄弟の3男だ。
大学を出たのは僕だけで、他3人は高卒。
結果的に僕は父に一番心配をかけなかったのだろう、だから僕に宛てた手紙は一枚もないようだ。というのは親父が生前、3人の兄弟に宛てた手紙の内容をみると、3人の生き様に父は不安を感じて父なりに教訓を与えようとして書かれた手紙だったからだ。
ちなみに父はもともと臨済宗の寺に生まれ、小僧として16歳まで生きた人である。なので、父が語るときはいつも説教であった。
さて、そんなわけで僕が父から手紙をもらったことがなかったのは、それだけ心配をかけていなかったのか。と、片付けをしながら悟ったわけである。
長男に宛てた手紙の中にこういう一文があった。
「私は仕事を道楽として考えていた。道楽というと言葉は響きは悪いようだが、道楽には挫折がないからだ」と。
父は、美大出身でデザイナーの仕事をしてたり、コンサルをしていたり、最終的には独自でスーパーニッチな広告ライターに広告作りの資料を提供するというビジネスをやっていた。
株式会社だが社員は母だけ。
でも、いち経営者である。
非常に安定したビジネスをしていたようで、ほとんど隙間時間でビジネスを完結していたので、よく釣りにいっていたし、小学生の頃は朝ごはんも夜ご飯もいつも家族6人で、時間的に余裕のあるビジネスをしていたと思う。父は欲がなかったので、ビジネスを拡大させなかったといっていたのを思い出す。
また、父としては子供と一緒にすごす時間の大切さを幼児教育の書籍を通して痛感したようで、いつも子供と一緒にいられる仕事として、この広告ライターに資料を提供するビジネスを始めたらしい。
厳格な父であったがありがたい子供たちへの気遣いであり愛情であった。
そんな父から長男への説教「仕事を道楽とせよ。道楽には挫折がない」
なんとも含蓄のあるメッセージである。
一般的にビジネスの世界では「コンフォートゾーンにいてはいけない、自分を居心地の悪い環境に置け」という。
これはその通りであって、人間は心理的に楽な状態にいると堕落する一方だからだ。
人間は痛みや苦しみから回避しようとするときのパワーやエネルギーが一番強いと言われる。
戦後の日本の高度成長もそうやって苦しみから抜け出したい一心によって成し遂げられたのは確かである。
でも、私は思う。
ずっと居心地の悪い環境にいたら人生楽しくないじゃあないか。
私は基本的にコンフォートゾーンで仕事をしてきた。
楽をしながら稼ぐのだ。でも怠惰にはならない。
とはいえ私も時には無理もする。
時には徹夜で仕事をすることも当然ある。
しかし、嫌なこと、キツイことをずっと続けていたら、やはり無理がこじれてダメになると感じているから自分のペースでやるのである。
そして、本当の人間の幸せは好きなことをして生きていく中にあると信じている。
居心地の悪い環境に置きながらストレスを受け続けながら目標の達成をするというのは、確かにやりがいも達成感もあるだろうが結局やらされている人生で、能動的ではなく受動的、主体的ではなく奴隷的な人生のように思えてしかたない。
単純に好きで行動したいものである。
ただ、日本人は指示待ち人間が多いというが、遺伝子的にも、自ら動くよりも命令されて動いたほうが楽な脳の構造に大多数の人がなっているような気がする。私自身もそういう部分が結構あると思っている。
しかし、それでは真の達成感、真の幸福というのは得られないと思っている。
そんな中で父の残した言葉
「仕事を道楽とせよ。道楽には挫折がない」
これには、う~ん、なるほど。と、うならされた。
仕事を道楽として考えることで、父も経営が大変だったり、なにかしら大変な時期があったはずだが乗り越えてきたのだなと思った。
経営者としての深い人生哲学である。
確かに好きなことには挫折というものはない。
趣味に挫折したという話も聞いたことはない。
下手に頑張って目標設定をするから目標が達成できなかったりしたときに挫折というものにぶつかって、人生の失望、無気力、自己嫌悪などの苦しみに落ち込むのだ。
誠に一理ある言葉である。
ちなみに、考えてみたら図らずも私自身はこの哲学をほどほどに実践して生きてきたなと思った。蛙の子は蛙か。
私は昔からビジネスには本気になれない。
道楽とは思わないがビジネスは所詮金を稼ぐ一手段でしかないから人生の目的には成り得ない。
だから小学生の時からビジネスに没頭して人生を生きるのは根本的に意味がない人生だと思っていた。
誰から学んだわけでもないが、小学生のときからそう思っていた。
今も同じである。
だからビジネスに頑張りすぎる必要はない。
ほどほどに金があれば人生十分。
そんな哲学を小学生の時から持っていた。
ビジネスが自分に合わないなら辞めて他の手段を探せばいいだろう。
しかし、絶対に言えることは、どんなビジネスに着手しても、ひとまずはある程度までとことんやる必要はあると思っている。
やってから判断する。
最初のビジネスの壁を突破するまでは無理はする。
なんにでもあるラインというものが存在する。
その世界の味、醍醐味を知るためのラインである。
そのラインを突破すると、面白さが出てきたり、結果がでてきたりするものだが、そのラインを超えるところまでは正直無理をする必要はあると思う。
例えば、果樹を育てたら実が実るのがそのラインだ。
実って食べて味を知ってから、これを続けるか辞めるか判断すべきというのが大学生の時からの私のポリシーだ。
これなしにあーでもない、こーでもないとビジネスを転々と変える人がいるがそれはどうかと思う。味を知ってからしかそのビジネスの良しあしは判断できないと思う。
話がそれた。
「仕事を道楽とせよ。道楽には挫折がない」
まことにそう思う。
仕事は道楽として頑張り、稼いだ金を持って、真実に自分のやりたいことに時間と金を投資すべきである。
2020年、7月31日、東京は長い梅雨がそろそろ開けようとしている。