毒と薬のひみつ
実家には山ほど健康関連の本がある。時間があるといろいろ読むのだが、面白いのがあった。
「毒と薬のひみつ」斎藤勝裕さんという理学博士、つまり学者さんが書いた本だ。
毒と薬、なんか気になるじゃあないですか。
ちなみに私は母から口癖のように「薬は毒だからね」と言われて育ってきたため、風邪をひいてもバファリンとかは飲まず、基本的に寝るだけ。飲むなら生薬である改源くらい。あとはサプリを飲ませられた思い出がある。その後も薬は余程の事がない限り飲んだことはない。今思うと本当に良かったと思っている。
さて、この「毒と薬のひみつ」だが結論からいいましょう。
毒と薬は科学的に全く同じものである。
毒と薬は全く同じ分子構造をしている。
毒=薬
ということである。ガビーン。
マジか!!!!なんか抗がん剤がマスタードガスから作られてるとか聞いたことはあったけど、著書によると実際本当なのであった!うお~!う~~~ん、薬って毒なんかやっぱり!!
この本はイラストも入っていて読みやすくはなっているが、専門的な単語も多くて正直文系の人には難しい。
しかし、文系の人でも読む価値はある。著者は薬も毒も否定していない。要は「使いよう」なのである。分量の問題なのだ。しかし、どんな薬も毒なので100%副作用はある。逆に毒としての存在の副作用を薬として利用しているものも多い。しかし、毒の要素が消えたわけではないから、当然体はダメージも受けている。
1000円くらいの本なので、一回読んでみることをお勧めします。
それから、面白かったのは、青酸カリとニコチンはどっちが人体に対する毒性が強いか?
そりゃ青酸カリでしょ、と誰でも思うかも知れないが、実はニコチンなのだ。
え~~~!!ニコチンってどんなに毒性が強いの!?
強いのです。
ニコチンのほうが少ない服用量で死ねます。タバコ3本食べたら死ねます。食べないですけどね。みんな煙を吸ってるだけなんで。。
とにかく目からうろこ的は話がちょくちょく出てきて面白い。
この書籍を読んだ私の所感は、結局自己免疫力を高める生き方が最高である。
ということでした。なにごとも使いようではあるのですが、薬に頼らない生き方が最高であると改めて悟ったわけです。
すべての薬は毒だからです。
日本は長寿国家ではあります。寿命が長いです。しかし、健康寿命が異常なまでに短い国家です。どういうことかというと、長生きはすれど健康な状態で長生きはできていない国家ということです。平均10年くらいはベッド生活か他人の介護が必要になる人生の期間が日本人はあるそうです。
ピンコロで逝きたいものだと私の父は生前よく言ってました。ピンピン元気に生きていて、ある日コロリと亡くなりたいということでした。
そのために父もかなり晩年健康に気を付けていましたが、45歳くらいまでは、酒にたばこにと、かなり不摂生をしていました。
それでも母の影響でタバコもやめて栄養学も学び、サプリも飲んだり酒は少々嗜むものの50歳くらいからはかなり健康に気をつけるようになっていました。
しかし89歳の時に突然首から下の全身麻痺状態に陥り、そこから病院で寝たきり生活をし全身麻痺になってから6か月くらいで他界しました。
寝たきり状態でも最初は意識がはっきりしていて、ものごとの対応はしっかりしていましたが徐々に幻視や幻聴が聞こえたりして、よく意味の分からないことを言うようになって、まともな対話もできなくなってしました。
6か月だけの寝たきり生活だったから、ある意味健康寿命は長いほうだったともいえますが、他界する2年前には体重が15キロほど落ちていて、直観で私は父がガンにかかっていることが分かりました。父に密かに聞いたら「お母さんには内緒だ」といって教えてくれました。
もう年だから手術してもむしろ危険だからこのまま人生を終えると話していました。
近くにいる母はすでに認知症も軽くあったし、逆に近くにいるからこそ父の変化に気づかなかったのだなと思いました。
父の寝たきりの6か月の間、私は1週間に2日は父の見舞いや看病に病院に行き、可能なかぎり麻痺した腕や足を按摩したりマッサージをしたりしました。
麻痺していても按摩やマッサージをすると血流が良くなって冷たく青白かった手や足が赤みを帯びてポカポカ暖かくなるのですが、本人は麻痺しているため分からないのでした。。
そして病院に行き来する中で人生の終末を迎える人たちを沢山見てきました。
その病院ではほとんどみんな寝たきり。みんなチューブでつながれていて、ほとんどごはんを口から食べられないひとばかり。
「う~」とか「あ~」とかいう声がいたるところから聞こえてきました。
精神状態もまともではない人が多く、ずっと叫んでる人もいるし、そもそも口が麻痺していてしゃべれない方もいる。
病院の父がいるそのフロアだけはどうしても排泄物の臭いが抜けきらない。
みんな寝たきりだからである。看護婦ももうただ仕事として老人たちに接している。看護婦も大変である。。
いつかは自分のこうなるのだろうか?
こうはならないにしてもいつかは死ぬのだな。
という考えがずっと頭につきまとう。
40代半ばの人生だが、老いは感じるしかない。
どんなに健康管理をしても老いを感じる。
今も毎日9キロジョギングしているが20代のときのようには体は動かない。
死。
人生とはなんなのか?
なんのために生きるのか?
母も特別養護老人ホーム(特養)に入っている。そこは寝たきりの人はいないが、70~80代の方々が車椅子や杖をついて介護を受けながら人生の最後を迎えている。
今はコロナで行くこともできない。去年の七夕の時期にいったら短冊に願い事が沢山。
しかし、
「家にかえりたい」
この願い事が一番多かった。。。
50枚くらいの短冊の3分の1はこの願いごとだったと記憶している。母の願いもそうだ。
家に帰っても一人では生活できない人たちなのだが、願いはそれでも「家に帰りたい」なのである。。
家に帰ってきて介護する人がいれば幸いだが、逆に介護する人は、人生のほとんどをその人に費やすことになるのだ。
食事や下の世話まで。またわがままも聞いてあげなければならない。介護疲れの心中とか殺人とかいうニュースは理解できなくはない。
どれほど辛かったら肉親を殺害するだろうか。
特養に入院している人は9割がた認知症を患っている。
私の母もそうだ。幸い重度の認知症ではない。
しかしその認知症と収集癖があいまって実家は文字通りゴミ屋敷と化してしまったのだ。
そのゴミ屋敷整理のために去年から私は実家に来ている。
ビジネスをしながら実家のかたずけ、1年半でだいぶ整理ができてきた。
今年の冬には認知症の母を実家に引き取って私が介護することも出来そうな気がする。
ただ、仕事と両立しながら母の介護がどこまでできるだろうか。
想像ができないが、まずは家を完全に整理しよう。。
母の夢もかなえてあげたい。最後の親孝行である。母も今年で86歳になった。
なんか重い話になってしまったが、いつかは皆に訪れる未来である。