終わりの始まり

Teru thought

2021年8月中旬

いきなりある電話がかかってきた。

 

 

お母さんの特養(特別養護老人ホーム)の空きが出て、

入所できそうです!と、ケアマネージャーさんから。

 

 

私が認知症の母の介護を始めたのが2021年の2月頭。

8月中旬で6か月と半分くらい実質介護したことになる。

ゴミ屋敷と認知症の母(1)

 

ゴミ屋敷と認知症の母(2)

ただ、3LDKの家が20年間ためたゴミ屋敷だったので、

母が住める家にするまでに2年間かかっているので、

そこまで介護期間として計算すると2年半の介護期間か。

 

 

なんにせよ、母の介護をしてきてもう限界だと思っていた。

杖なしでは歩けないし、一度座ったり、

横になると自力では立つことができない。

 

私が背中から抱えて立たせるか、

両サイドにつかめるものがあれば

腕の力で母の自力で立てるときもある。

 

 

そして小便や大便はほぼ垂れ流し状態。

介護用のオムツもパッドも入れているが、

自分で出ているのがあまりわからないので、

大量に漏らして肌にあたって

気持ち悪いなと思ったらトイレに行こうと、

ずりずりと移動しだす感じだ。

 

 

寝ているときに大量に大も小もするので、

オムツとパッドではカバーしきれず、

防水シートも布団の上に敷いているけれど、

その防水シーツがびしょびしょだし、

時にはクソまみれで、

当然来ている服やかけているタオルケットまで。。

 

 

それの処理と洗濯。

 

処理はまずある程度風呂で大便を落とさないと、

そのまま洗濯機に入れると、

洗濯ものが全部大便くさくなるからだ。

 

洗剤を入れても無駄である。

 

 

毎朝母の処理で1日が始まる。

 

母が素直にトイレに行ってくれたらい、

そのあとに風呂場に向かってくれたらいいが、

なぜか最初から怒って切れてることがある。

 

 

自分がそそうをしたことを隠すため、

または正当化、自己防衛のための逆切れである。

 

 

いいかんげんにしろ!

とこっちも怒鳴りつけて怒るしかない。

 

 

家じゅうに大便のにおいが立ち込める。

 

うんこだらけのオムツをビニールで密封してゴミ箱に捨てるが、

どうしてもにおいが漏れる。

 

 

家でゴミ箱を開けるたびに臭ううんこ臭。。。

マジで地獄である。

 

 

 

 

そんな、介護からついに開放される時が来たのである。

 

しかし、母が実家に戻ってきたら、

土いじりでもしてほしいなと残しておいた、

様々な花や野菜の種。

外出するときのために準備した、様々な衣類や装飾品。

 

 

母は私の予想を超えて認知症が進んだ状態で

今年の2月に老健(介護老人保健施設)から

退所して出てきたため、

土いじりする体力もなく、

外出もできる状態ではなかった。。

 

 

コロナで1年以上会えなかった間に

予想を超えて認知症も進み、

足が弱っていたのだ。

 

1年前ならすいすい歩けていたのに。。。

 

 

特養(特別養護老人ホーム)は母の死ぬ時までの家である。

 

老健は元気になって出ていく一時的な施設であるが、

特養は最後の家なのだ。

つまりもう退所はない。

 

もう、2度と実家に戻れないのだ。

 

 

老健に母は2年間いた。

普通は3か月程度しかいられないのが、

いろいろコロナとかの状況もあって長かった。

 

そして母は老健にいた2年間、

非常に嫌だったのだ。

 

ゴミ屋敷を作り上げた母は、

つまり収集癖がある。

そして収集癖がある人は、

人から何か盗まれるという恐怖心の中で生きている。

 

 

老健では、老健内で集めてきたゴミのようなものを

自分でなくしては盗まれた!と騒いでいた。

 

介護スタッフに盗まれた!

だれだれに盗まれた!

とよく電話がかかってきた。

今はもう電話のかけかたもわからないが。。。

 

 

母は盗まれるのが嫌だから

とにかく実家に帰りたかった。

また、当然だが施設には自由はないから、

自由になりたかった。

 

 

だから実家に帰りたかったし、

二度とそういった施設には入りたくないといっていた。

 

 

しかし、実際介護してみて、

これは介護できるレベルではなかった。

 

ケアマネージャーも兄も、

母の介護は3人ぐらい人がつかないと無理だといっていたが、

本当だった。

 

 

自分ひとりでやったが、

実際3人くらい人がいないと無理だし、

実家というバリアフリーではない環境で、

しかも家族だと母は態度が豹変する。

 

 

他人や知人には優しいが、

家族に対してはかなりひどい態度をとりまくるので、

本当に無理だと感じた。

私が壊れる。

 

 

それで特別養護老人ホームを申請したのだが、

まさかこんなに早く空きが出てくるとは思わなかった。

早くとも10月と踏んでいたからだ。

 

 

この連絡を受けた日、

正直脱力した。

母には申し訳ないと思った。

 

 

私の手で、母の最期の願いを断ったのだ。。

 

 

もう母は外出すらできない。

しばらくは外の空気を吸うこともできないのだ。

もちろんコロナが明ければ、

機会はあると思うが、

コロナがいつ明けるかはわからない。

 

 

場合によっては死ぬまで外出できないかもしれないのだ。

 

 

終わりの始まりの連絡だった。。

 

 

なんともやるせない気持ちがず~んと重くのしかかる。。。

さようなら、、お母さん。。。

ゴミ屋敷と認知症の母(1)

ゴミ屋敷と認知症の母(2)