諸行無常

Blog Teru thought カラダと健康

ガタガタガタッ。

タンカーに運ばれて高齢の老人が

救急車で運ばれていく。。

 

 

現在私は認知症の母の介護のため

実家に戻っている、

私が5歳の時から約20年間住んでいた実家、

都営団地である。

 

 

この団地が建てられたのは

今から丁度40年くらい前。

 

 

1979年、つまり昭和54年のはずだ。

私が5歳の時に引っ越してきたのだから。

 

 

当時は新築の都営団地、

みんな子供を連れた夫婦が入居した。

 

私と同い年の子どもも数人いたので、

小学校ではクラスメイトになった子どももいた。

 

そして40年前の当時のお父さんお母さん達は

大体30代ないしは40代。

 

その方々が40年たって、

今現在みんな70代、

場合によっては80代になっている。。。

 

 

つまり、この団地全体が高齢化してるのだ。

 

もう息子娘はほとんど旅立ってここにはおらず、

高齢のおじいさんとおばあさんだけが

住んでいる団地なのだ。

 

この団地が1号館から6号館まであって

みんな同じ感じなのだ。。

 

 

だから、毎月のように誰かが亡くなり、

しじゅう救急搬送されている人がいる。。

 

そして、徘徊する人もいる。。。

 

まあ、母も外出したら

家に戻れないくらい

認知症がひどかったから理解できる。。

 

 

団地の掲示板には、

訃報が毎月のように出る。。

 

 

ガタガタガタ、バタン。

救急車に老人が載せられて

ドアが閉められた。

 

 

道を開ける必要もないのか

ピーポーピーポーという音も出さないで、

救急車は行く。。

 

 

 

 

ああ・・・・

何と言おうか・・・・

 

この光景を一緒に見ていた

同じ団地のおばあさんと立ち話をした。

 

私が5階に住んでいるが、4階の方だ。

 

 

この人の情報によると

3階の309号室の人が運ばれたのだと。

名前は・・・忘れたと。。

 

この人も70代なのだが、

はっきり言って、

ちょっとボケてる。。。

 

 

認知症とまではいかないまでも、

対話してて

かなりボケが入っているのが

感じられる。。。

大丈夫かな、今後。。。

 

 

私の母ももう年齢もわからないし、

歩くこともできないで、

大便小便垂れ流しの重度の認知症であるが、

この団地に住んでいるおじいさんや、

おばあさんと話していても

とにかく、皆少なからず耳が遠かったり、

ボケているので、心配になる。。

 

 

このような高齢者集団の団地なのだ。。

だから、虚しくなる。

 

 

歳月の流れ。。

皆老いていく。。

そして消え去っていく。。。

 

 

人は何故に生きるのか?

なんの目的を持って

生きていくのか?

 

 

なぜ死が待っているのに

生きる必要があるのか?

 

そして死とは何なのか?

 

 

私が高校生、大学生の時に

非常に悩み考えたテーマだ。

 

 

だから大学も哲学科に進んだ。

もちろん答えはなかった。

 

だけど、考えた。

考えざるを得なかった。。

 

 

なぜ?

 

 

これを考えずに生きることこそ

私には現実逃避だったから。。

 

だから命がけで真剣に向き合った。

大学4年のとき、

この事を考えていたから

就職活動なんて二の次だった。。

 

しかし幸いに今は答えを持っている。

だから、毎日が生きがいがある。

 

 

一言でいえば、

本当の自分のために生きている。

 

本当の自分、

アイデンティティーとか、

内なる自分とか、

いろいろな表現はあるだろう。

 

自分の中に存在している自分。

聖書ではそれを霊という。

 

 

幽霊とかの意味のゴーストではなく、

スピリットととしての霊とは

人間の本質的な存在を指す。

 

昔、確か1999年あたりに

WHOが健康の定義で、

心と体と霊が健康であってこそ健康という、

みたいに定義をするといって

ニュースになったのを今も覚えているが、

その霊のことである。

 

 

欧米では一般的な概念だが、

日本では霊というと

お化けのイメージしかないであろう。

 

 

人には皆内なる自分がいる。

だから、その内なる自分、

本当の自分を探したくて、

自分探しの旅に出たりもする。

 

かく言う私も大学3年の時に

インドに一人旅にいったりもしたが。。。

 

 

いずれにせよ、私は

大学4年時に聖書を通して

内なる自分という存在を

はっきり知るようになり、今にいたる。

 

 

哲学で解けなかった問題が

聖書で解けたのには当時驚いた。

 

他にもれず聖書とか神様とか

一番嫌いな分野だったからだ。。

 

 

ただ、ひとつ。

試してみるまでは勝手に判断しない

という哲学を持っていたので、

いやいやながら聖書を学んでみた。

 

結果、言葉に表現できないほど

非常に大きなものを得ることができた。

 

 

なんとありがたいことだろうか。

 

 

諸行無常。

 

 

たしかにそれは真理だ。

すべてのものは虚しく過ぎ去るのだ。

 

しかし、人間の内なる自分、

内なる霊魂は存在する

ということを私は実感している。

 

聖書のソロモン王が

伝道の書でこう言っている。

 

 

空の空、空の空、

一切は空にして空であり、

虚しいものだ。

すべて過ぎ去るのだ。

人は天の下で

なんのために労苦するのか、と。

 

だから虚しく人生を終える前に、

あなたの人生の若いうちに

あなたの創造主を悟れと。。。

 

アーメン