認知症団地
僕の実家の都営団地。
22歳でこの実家を離れ、
44歳の時にまずゴミ屋敷化した実家を
回復するために22年ぶりに帰ってきた。
現在この実家の都営団地を僕の拠点にして4年たつ。
最初の2年間でゴミ屋敷の実家を綺麗に整理し、
3年目に母を老健から迎えて1年間介護し、
そして特別養護老人ホームへと
送ったのが丁度1年前だ。
本来特別養護老人ホーム、
略して特養に入居したら
母親の住所は本来は特養に移して、
この都営団地は東京都に
返還しなければならない。
しかし、母親の場合、
実家への復帰を望んでいるため
現在もこの都営団地を残している。
まあ、私もこっちに
ほとんどの商品の在庫を移してしまったので、
3LDKのここにいるほうが、楽と言えば楽だ。
何より広い。
私の商材がゴルフクラブなので、
こっちのほうが仕事するには向いている。
とはいえ新宿区に残してある家もある。
なんせ、この実家は
いつ出ていくことになるかわからないし、
なにより私の住所を
実家の都営団地に戻してしまうと、
都営団地のシステム上
非常に家賃が上がってしまうのだ。
そんなわけで、新宿区の家も残している。
で、この団地に戻って4年たつのだが。。。
この4年間で、この団地全体の住人たちの
認知症度が上がっていくのが
明らかに感じられるのだ。。。
残酷な現実である。。。
そりゃ仕方ないと言えば仕方ない。。
ほとんどの住人は皆70歳以上なのだ。
新しく転居してきた数組の若い夫婦を除けば。
都営団地はシステム上、
毎月1回は団地の人全員で、
団地周辺を掃除することになっているので、
月に1回は顔を合わす。
また、昔ながらの回覧板や
共益費などのシステムも残っているので、
なにかと近所付き合いがあるのである。
最近の都内のマンションなどでは
ありえないシステムだ。
団地も5階建てで各階9戸なので
全体の戸数も左程多くない
というのもあるが、
ほぼ、1階には誰が住んでいるのか
2階には誰が、3階には誰が・・・
と団地の人全員がお互いを知っている
田舎町のような感じなのだ。
いい意味で古い昭和の世界で、
挨拶も自然にする関係性だが、
誰かが何かをしでかすと
すぐに皆が知るという世界でもある。
だから、私もこの団地に戻ってきて、
年々皆さんの認知症の度合いが
上がっていくのを
ひしひし感じるのである。。。
私の実家のとなりの方。
本当に小さい時から知っているM夫婦。
もう両方80歳を超えているのだが、
私が共益費を集めに行く度に、
M奥さんは
「共益費?あら?封筒もらってないわよ。」
「いえ、ドアの郵便受けに入れましたので~」
「あらそう?部屋をさがしてみるわ、
ごめんなさい。ところでいくらだっけ?」
という具合で、
毎回共益費の封筒が配布されても
わからない状態になってしまった。
去年までは問題なかったのに、
今年に入って、
かなり認知症が進んでしまったようだ。。
また同じ5階に数でいる別の夫婦、
K夫婦が、先日家のドアの前で
二人で地べたに座っていた。
何があったのかというと、
K夫婦が病院に行くために朝、
家を出たのだが、
その後K夫婦の長男が家を出るときに
鍵を閉めていってしまい、
K夫婦は鍵を持たずに家を出たため、
病院から帰ってきたら
家に入れなかったという始末である。
そもそも外出するときに
K夫婦は鍵を持たないのだろうか?
と疑問に思ったが、
そんなことより、
70歳を超えた老夫婦が
コンクリートの地べたに座り込んでいるのは
見るに堪えず、
家から座布団を持って行って
これに座ってくださいとお願いした。
K妻のほうは座ったが、
K旦那のほうは頑固として遠慮した。
その時に、アッと思った。
多分だが、K旦那は介護オムツを
していたかんじだった、
で、ズボンまで若干汚物で
汚れているのを自分で自覚していて、
座布団を借りたら座布団に自分の汚物がつく、
ないしは臭いがつくとおもったのだろう。。。
実際に服装が全体的に
言い方は悪いが
浮浪者のように薄汚れていた。。。
それでも、もう10月コンクリの地べたは冷たい。
そこで私は機転をきかせ
段ボールをもってきて、
これを下に敷いてください
とお願いしたら
今度は快く座布団替わりに敷いて座ってくれた。
やはり、とおもった。
とはいえ、二人とも
もう歩くのがかなり負担なようだった。
4年前はそこまでではなかったのに。。
このK夫婦は、息子が2人いて、
長男も次男も僕が小学生のころ
同じ少年野球チームに属していたので、
とても関係のある方だった。
また亡くなった僕の父親とも
非常に仲が良く、
生前よく親父がこのK夫婦の家に行って、
K旦那と囲碁を打っていた。
ただ、K旦那はもう僕をみても
誰だか分らなかったようだ。。。
とはいえ、この2人、
笑顔は素敵であった。
なんとも無垢な笑顔なのだ。
そう、前回竹馬の友として
G君を紹介したが、
彼の母親も非常に無垢な人であった。
だから、死んだあと、
まばゆい光の世界に向かって
彼女の霊魂が歩いていったのであろう。
この都営団地に住んでいる人は
みんな年収が高くない。
世の中でいえば負け組、弱者だ。
学歴が高い人もほとんどいない。
だが、その分無垢な人が多いように思う。
人はビジネスをしていると
どうしても皆、金・金・金で、
心が汚れていく。
人に対しても疑うようになるし、
ずるがしこくなってしまう。
しかし、生涯投資も
したことがなく、
中小企業で働くか、
パートタイムで働いているような
低収入な人たちのほうが、
ある意味純朴なのだと感じる。
下手に金のせいで
心が汚れたりする機会が少ないから。
そして低収入でも、
この都営団地は家賃が格段に安いから、
贅沢をしなければ
全く生活に問題がない。
ただ、残念なのは、
食べるものがどうしても
添加物満載の安い食品になってしまうので、
認知症やら糖尿病やら
様々な病気に皆かかってしまう。。
この4年間で、
徘徊を始めたおばあさんもいらした。。
昨年亡くなったが。。。
もちろん、昔からよく知ってる
3階の方だ。。
1階のY夫婦も旦那さんが
かなり厳しい状況のようだ。
Y妻のほうが
よく犬を散歩しているので、
会う度にご自身の旦那さんの話を
されるのだが、
認知症も進んできて、
もう厳しいかもしれない
と先日話していた。
人生の終末を見るこの都営団地。
人は皆生まれたら死ぬのは定めである。
「汝、若き日に汝の創造主を覚えよ」
これは知恵の王ソロモンの言葉。
人は死ぬ、しかし霊魂は永遠に残る。
永遠の人生、我が霊魂のために、
僕は今日も神に仕えて生きようと思う。
騒がしい世の中。
コロナだ、戦争だ、陰謀論だ、
情報が交錯する。
陰謀は実在する。
TVが洗脳道具であることは明らかだ。
それらをわかって
対応する必要はあるけれど、
でも、結局皆なんのために
生きていくのだろう。。
竹馬の友との別れ①
筆者の幼馴染みがある日別れを告げに会いにきます。彼の話してくれた実母の老いと介護生活の大変な日々。その時、筆者は何を思ったのか。誰もがいつか経験する親との別れの時をあなたはどう感じるでしょうか?